音楽コラム<vol.91> 寄稿:デビッド近藤
「モダンブルースギターのカリスマを体験した日~オーティス・ラッシュ」
今月のRUFFHOUSE音楽コラムは、モダンブルースのカリスマブルースマン、オーティスラッシュのことを書きたいと思う。
僕がオーティスラッシュの音を初めて聴いたのは1989年、夏だったと記憶している。
有名な「コブラ」の音源をLPで聴いた。
ギターの印象よりも、絞り出す、強烈な歌声と、エモーショナルな楽曲の残像が今も残っている。
音源というものは今も繰り返し聴くことができるし、現代はスマホや、iPad、車でも、ネットから、どこでも手軽に音源を引っ張って来れるが、初めてその音源を聴いた感動は、残念ながら、ワンクリックで引っ張ってきて、再生することはできない。
遠い記憶に、鮮明に残っている。
逆にいうと、その記憶の中の感動が、その音源を一生に何度何度も再生する原動力となり、裏の音、10代には聴こえなかった音を、レコードの中に発見することにつながっていく。
ラッシュの音は僕には、その権化のような音楽で、長いスパンで、周期的に聴きたくなる衝動にかられる音楽である。
ラッシュの歌とギターの良さを文や、言葉で説明することは難しい・・とにかく若い人にレコードを聴いて欲しい。
とりつかれると、何度も聴きたい「衝動」にかられる魅力的な音楽であることは確実である。そんな、オーティスラッシュの音楽を生で体験した日のことを書いておきたい。
90年代初頭、大阪のクアトロで、ラッシュのライヴを体験した。席は前の方だったが、ステージの下手側の場所で、音のバランスはあまり良くなかった。
まず、オーティスラッシュが登場する前に、シカゴからラッシュが連れてきていた、ジェームスウイラー(彼にもらったサインにそう書かれていて、名前を知った)が、堅実なスタイルで演奏するスタンダードなシャッフルナンバーでライヴは幕を開けた。
場が温まったところで、ブラックミュージックのライヴにはお約束の派手なMCコールで、ラッシュが登場。
ギターを、ワンフレーズ、強烈な切れ味だったが、音量がラウド過ぎて、僕の耳にはバランスが悪かった、しかし、フレーズは延々と続き、歌がいつ始まるのか?という感じで、曲が続いたことを覚えている。
しかし、かなり待たされたタイミングで、強烈なシャウトで、ワンフレーズ。たまらない!
その印象は今でも鮮明に残る。
ショウは「ダブルトラブル」、「オールユアラブ」、「ライトプレイス」など、ラッシュ定番のナンバーのオンパレードで、曲の定番リフはサイドギターのジェームスウイラーの黒のレスポールが奏でていて、ラッシュはひたすら、自分のソロを長目に奏でていく。
ラッシュのコスチュームは有名なアルバム「トップス」のジャケットそのままの出で立ちだった。
今まで体験したBBkingやジェームスブラウンのような計算されたバランスの良いショウではなかった。
しかし、レコード以上に生のラッシュは強烈だった。
ライヴが終わり、僕はカリスマ、ラッシュには近づけず、サイドギターの親しみやすいジェームスウイラーにサインをシステム手帳に、緑の蛍光ペンでもらった(緑のペンしか持ってなかった・・)
何年もたったあと、香川県に移住し、なんとかギターを続けていた40代の僕は愛聴盤のラッシュの来日ライヴ盤のバックバンドを務めたブレークダウンの服田洋一郎さんに、そのアルバムのCDに言いにくかったが、「このラッシュのレコード大好きなんで、記念にサインを書いてください」と勇気を出して頼んでみたら「オレはこれは嫌いだけどね、サインはするよ。」とサインをしてくれた。
僕は世代的に日本のブルースバンドは熱心に聴いたことが、正直あまりないので、ブレークダウンのレコードも持っていなかった。
だから、ラッシュの音源にサインしてもらうしかなかったのだが、すごく丁寧にマッキーでサインをしてくれ、記念になったし、とても嬉しかった。