音楽コラム<vol.85> 寄稿:デビッド近藤
「ギターの達人 マット(ギター)マーフィーのギターを弾かせてもらった瞬間・・生涯の思い出」
11月の高松RUFFHOUSE音楽コラムは20歳の時に初めて聴き、衝撃を受けた「マット(ギター)マーフィー」のことを書きたいと思う。
マーフィーを聴き始めたのは10代の時観た映画「ブルースブラザーズ」がきっかけだった。アリサフランクリンのソウルフード店の旦那役、ブルースブラザーズバンドのもう一人のギタリスト、スティーブクロッパーとはタイプの異なる多彩で、指さばきが達者なマットマーフィーが印象に残り、当時、出たばかりの彼のソロアルバム「ウェイダウントゥサウス」が愛聴盤となった。
マットマーフィーのギターをコピーするため、「アメリカンフォークブルースフェスティバル」やジェームスコットンのアルバム、当時のブルースの時のレコード、アントンズ関連のアルバムを片っ端から聴きまくった思い出が蘇ってくる。
歌も、味わい深いファットで低いファンキーな魅力に溢れて大好きだ。素晴らしい演奏が各時代に残っており、「マットのギターブギ」は一つ一つの音を辛抱強くコピーしたが、弾ききれなかったし、歯が立たない思いだった。彼のプレイもジャズの要素があり、マットのギターブギはブルースではあまり出てこない、メジャーセブンのノートを効果的に使って魅力的だと思った。
ブルースブラザーズはパンクロックの80年代に逆行するかのように、トラディショナルなサウンドとコメディで、サタデーナイトライヴから登場し、映画も大ヒットし、インパクトは絶大だった。
しかし、マットは下積みの長い、メンフィススリムやジュニアパーカーのサイドギター、チェスのセッションギタリストとして、チャックベリー等、時代の音を陰で支えた職人ギタリストで、ブルースブラザーズの映画でスポットが当たった時、それを知らない人も多かったことだろう。
そして僕はついに1992年大阪アムホールで生のマットマーフィーバンドを観た。
これまた彼の真っ正面でかなり間近に本物を体感できる席で観ることができた。
まず、マットがジャジーなファンクのインストで登場し、ブルースブラザーズバンドさながらのゲストボーカルの白人を従えた演出、ZZヒルのスローなナンバーや、お馴染みのモジョワーキング、スウィートホームシカゴなどのナンバーを次々とプレイしてくれ、ブルースをあまり知らない観客も満足させるショーは見事だった。
ショーが終わって、僕は興奮醒めやまぬ中、人がまばらになっても、ステージの前に立ち尽くしていた。すると彼はステージの袖からギターを片付けに出てきた・・。ローディもいないのかな?と思ったが、僕はその姿に釘付けだっただろう。
するとマットは僕を見て笑ってくれ、なんと、ローズ指板のサンバーストのストラトキャスターを、僕に差し出して近づいて来てくれた・・。僕は心臓が止まりそうになったが、マットからギターを受け取り、アントンズのレコードのスローブルースでコピーしたばかりのマットのギターフレーズを弾いて、彼の顔を見た。
彼は僕がギターを弾くことがどうしてわかったのだろうか?彼は親指を立て「ベリーグッド👍️」と笑ってくれた‼️ 魔法のような数分間の時間。そのあと、僕は色紙などないので、手持ちのシステム手帳にサインをもらった‼️そのサインと、その日のチケットは宝物で、大切に今も彼のアルバムに挟んでいる。
音楽は時に魔法のような時間をいくつか与えてくれた。
では、また、Blues is alright デビッド近藤