音楽コラム<vol.94> 寄稿:Eloiseカポノ
[ 祝!BOZ 5年ぶりの来日。やっぱりLowdownが好き!]
ボズ・スキャッグス、僕が、初めて彼の音楽と出会ったのは、1976年高校1年生の春休み。当時の音楽関連の情報の仕入れ先は、FMラジオ、音楽雑誌の「MUSIC LIFE」「LIGHT MUSIC」「ニューミュージックマガジン」だったが、やはり一番はラジオだった。
そう!聴くのにお金は不要だから。(ハードの初期投資は必要だったが)FM大阪の夕方6時からの「ビート・オン・プラザ」はマストアイテム。まだ日本発売されていない新譜をまるっとかけてしまう番組。
曲紹介が先だったのか、後だったのか忘れてしまったが、A面が一気にかかり、途中、お便りとか読んで、またB面を一気にかけてくれた。なので、カセットテープは60分テープで、途中裏返すか、また90分テープならほぼ一気に録ることができた。たまに45分以上のアルバムなんかは曲がカットされたこともあったが、お金のない高校生にとっては、LPを買わなくても音源を手に入れることができた。
それもいち早く聴くこともできた。
ボズ・スキャッグスの「シルク・ディグリーズ」を聴いたのもその番組だった。
前作の「スロー・ダンサー」が発売されたのが、1974年の3月。当時はボズのボの字も知らなかった。
その頃、夢中になっていたのは、友達のK村君の影響で、グランド・ファンク、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、K田君の影響で、スージー・クワトロ、いとこの影響で、リック・ウェイクマン、ピンク・フロイド、ELP、個人的には、カーペンターズ、スリー・ドッグ・ナイト、ビートルズ関連(ポール、ジョージ、リンゴ、ジョン)。アメリカ音楽は、カーペンターズ、 スリー・ドッグ・ナイトぐらいしか知らなかった。
そんな中学時代から高校生になり、突然、アメリカ音楽に目覚めた。
なにがキッカケかは思い出せないが、愛読誌の「MUSIC LIFE」(大学生になるまで、中学2年生ごろから毎号買っていた)の記事も、イギリスよりアメリカ系の音楽記事や写真に目が行くようになった。といってもクィーンの日本登場からは追いかけていたが、、、、、
そうそう、FMラジオ向けの音楽情報雑誌も音楽関連の情報元だった。
前述の「ビート・オン・プラザ」の番組欄には、アルバム名、曲名とかも一部掲載されていた。ボズの名前を見つけたのもそこだった。一番のお気に入り雑誌は、FMレコパル、個人的には見やすかった。蛍光ペンが登場して間もない頃だったのか?番組欄をマーカーした記憶がある。月曜日から金曜日の18時からは本当に楽しみで、いろんな最新の音楽を吸収した。
ボズ・スキャッグスの「シルク・ディグリーズ」の日本発売は5月21日。
2カ月も待てるはずがない、待ちきれず輸入盤を手に入れた。日本盤は歌詞付き、訳付き、解説付きだが、せめて曲名だけはと考えて、中袋の空きスペースに収録曲(日本語タイトル)と長さを書き入れた。
1曲目のWhat Can I Sayは「何と言えばいいんだ」4曲目のWhat Do You Want The Girl To Doは「あの娘に何をさせたいんだ」いまにすれば、なんともダサイ!なにも直訳的なタイトル付けなくてもよかったのではと思ってしまう。
夕暮れの海辺のベンチの端っこに体を左に向け、少しうつむき加減に座るボズの傍らには、艶やかなマニキュアをした女性の左指が見える。とてもオシャレなアルバムジャケットは、ずっと眺めていても飽きない。音楽もまさにオシャレで、泥臭いロックンロールナンバーも粗削りな部分がほとんどかき消され心地よく聴こえてくる。
僕が一番好きな曲は、B面1曲目の「Lowdown」!
アメリカ建国200年、独立記念日にシングルカットされたダンサブルなR&Bソウル!Jeff Pocaroの刻むハイハットの16ビートにDavid Hungateのうねりのあるベースが絡んでくる。黒人女性のバックコーラス。1977年第19回グラミー賞において、白人にして初めてR&Bソング賞を受賞した曲!
1977年の大ヒット映画、そしてサウンドトラック!そう、本来ならサタデー・ナイト・フィーバーに収録される予定だったが、所属のコロンビアレコード会社の大反対にあって、没!収録されていれば、さらに輪をかけたとんでもない大ヒットになっていたはず。
動画では、ジェフ・ポーカロさんがドラム、レス・デューデックさんがギターを演奏している!30代前半のダンディな彼がそこにいる!あの当時の興奮が蘇ってくる。
彼も今年6月で80歳! 2月の来日公演が最後になるかもしれない?
2024年2月19、21、22日 東京ドームシティホール 3公演とも立見しか残っていないとのこと。24日仙台、26日名古屋、28日大阪、3月1日福岡はまだ席があるみたいですね。