音楽コラム<vol.100> 寄稿:Eloiseカポノ

Music&Live RUFFHOUSE

2024/06/19 10:47

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ケニー・ロギンスとの出会い その1

このミュージシャンの名前を聴いて、フットルースやトップ・ガンの主題歌を思い浮かべるのは、おそらく70年代以降に生まれた方だと思う。これらの主題歌を聴く限り、ケニー・ロギンスは、ロックンローラーだと思うかもしれない。映画の大ヒットで曲も売れたので、そう思われても仕方がない。

が、実は僕にとってのケニー・ロギンスさんは、れっきとしたAORミュージシャン!

1979年11月9日 名古屋市公会堂 <NHKの朝ドラ「虎に翼」で裁判所の近くの風景として出てくる昭和5年に竣工された登録有形文化財に指定されている建物>の玄関前で、僕は彼女といた。

その日は、ケニー・ロギンスの初来日コンサートの初日、こんなに早く彼の生歌が聴けるとは思ってもみなかった。初日ということもあって、開場が約1時間近く遅れた。主催者より、サウンドチェックに時間がかかっています!とのアナウンスが!

秋も深まり、夕暮れともなると冷たい風が吹き込んでくる公会堂の玄関口、寒さに震えながらやっと入った会場。ほぼフラットな会場、ところどころに丸い大きな柱がある。柱の陰で、前が十分見通せない席もある中で、手を延ばせば、すぐそこにケニーさんがいる席に座って、いまかいまかと胸の高鳴りを抑えて始まりを待っていた。。。。。

当時、コンサートのチケットはプレイガイドでしか買えなかった。

発売開始日に並んで買うものであった。並んだのは、名古屋のサカエチカにある老舗のレコード屋さんの「音楽堂」のプレイガイドだった。残念ながらコロナの影響により、多くの人に惜しまれつつ3年前の2021年5月末に閉店としまった。手に入れたチケットは、2列目の右側通路に一番近い場所。努力すれば報われる時代であった。今は、運に頼るしかないなんて、すごく馬鹿げていると思うけど、皆はどう思うのか問いたい?

僕がケニー・ロギンスの存在を初めて知ったのは、LIGHT MUSICという音楽雑誌の1975年6月号の綴じ込み付録の「保存盤アメリカン・バンド名鑑」だった。

彼はロギンス・アンド・メッシーナというウエストコーストのデュオの1人として紹介されていた。その隣のページには、ポコが紹介されており、そこには、ジム・メッシーナが創立メンバーだと記載されていた。なるほど、ポコというカントリーロックバンドとジム・メッシーナは繋がったんだが、ケニー・ロギンスは、どうやら無名のソングライターだったということ、そして、ジム・メッシーナという元ポコのメンバーが彼のプロデュースを買って出て、アルバムを作ってるうちにコンビを組んだということがわかった。

今、雑誌を見返すと、二人の写真の上に鉛筆で、ジム・メッシーナ、ケニー・ロギンス」と名前と顔が一致するように書かれているのが笑えてくる。その時以来、ラジオでかかる彼らの曲をチェックするようになったけど、アルバムは全く聴いたことがなく、もちろん、レコード屋さんに行けば買えたんだろうけど、そんなお金もなく、ようやくアルバムが聴けたのは、ロギンス・アンド・メッシーナが解散するというニュースを音楽雑誌ミュージック・ライフで知り、解散後の1976年11月に発売されたベスト・アルバム「The Best Of Friends」だった。

収録された曲から、彼らの代表曲・・・・・・その2に続く。


Your Mama Don’t Dance 「ママはダンスを踊らない」
1973年1月27日付 Billboard Hot 100最高位4位

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